色葉字類抄注釈データベースv2023-09

注釈ID見出し語ID・見出し語音訓注文注釈
1800012003了々イトヽヽ「了了」に関して、『略注』は、『世説新語』・言語の「小時了了、大未必佳」を引くが、ここの議論では適切でない。とはいえ、「「いといと」は後に被修飾語を省略したものか」という推論は正しく、「了了」を「いといと」と訓ずるのは、たとえば仏典に多く見られる「了了分明」を「いといとあきらかなり」等と読んだことによる、便宜的なものと考えられる。 〔2024年3月31日 高橋忠彦〕
1800022004飲露イムロ(雑部)/虫名「飲露」が虫の異名であること関して、『略注』は『芸文類聚』に引く陳の張正見の詩を引くが、既に晋の陸雲が「寒蟬賦」を著し、「含気飲露」と述べている。他の晋以降の詩にも、蟬に関して「飲露」の表現が通例となっている。 〔2024年3月31日 高橋忠彦〕
1800032005(ハカル)『略注』の説の通り、「穴」は「究」の誤記であろう。但し、『色葉字類抄』の字形は、特に黒川本で、「宂」に近いようにも見える。「究」の異体に「宄」が有るため、「穴」に近い字に書いたものであろう。〔2024年5月19日 高橋忠彦〕
2100012006(ハカル)『略注』は「葵」を「蔡」と翻字しているが、誤り。「癸」の上部を「祭」の上部のように書くのは、さほど珍しいことではない。『集韻』では「葵」を「𬞂」と書いている。〔2024年5月19日 高橋忠彦〕
2400012013𫰯(コノム)『観智院本類聚名義抄』に「𫰯〈コノム〉」とあるが、これは『色葉字類抄』に拠る増補項目であると考えられ、ここでの傍証とはならない。その他の日本の平安時代成立の字書・辞書類、中国の韻書・字書類に「𫰯」は見えない。和語「コノム」と意味的に対応し、「𫰯」と字形が類似したものに「婤」がある。宋版『広韻』に「婤〈好貌、又音周〉」(平声尤韻丑鳩切)、『天治本新撰字鏡』に「婤〈勅周反、止由反、女字、好貌、太志牟、又、阿支太留、又、己乃牟〉」、『観智院本類聚名義抄』に「婤〈音周、又抽音、女字、タシム、アキタル、コノム〉」とある。この「婤」の右旁を「困」に誤ったものが、右の「𫰯」であると推定される。但し、『広韻』の「好貌」は、美しく好ましいさまを表す注文であり、『新撰字鏡』・『名義抄』の「コノム」の和訓は適切ではない。『略注』で「「妞」の誤りか」とするが、「𫰯」と「妞」は字形に類似性が無く、妥当でない。〔2024年4月7日 高橋久子〕
2400022019気体キタイ漢音キ+呉音タイで、大島(2022、※1)で取り上げた呉音・漢音混ぜ読みの例の一つ。当該語は、中世以前の日本の文献における用例は少ない(※2)ものの、『新猿楽記』六君夫に「気体長大而形貌雄爾也」という用例があり、尊経閣文庫蔵弘安三年(1280)写本・古抄本・康永三年(1344)写本いずれにも「キタイ」という傍訓があることからみて、当時混ぜ読みで定着していたのではないか。中国文献では、『礼記』内則に「養気体而不乞言」とあり、精神と身体の意と解される。『新猿楽記』の例も同様の意味とみられ、字類抄で人体部所属であることとも符合する。(※1)「中世における呉音漢音混読現象の展開」、https://doi.org/10.24701/mathling.33.6_373。(※2)2025年4月現在、東京大学史料編纂所「古記録フルテキストデータベース」ではヒットせず。〔2025年4月10日 大島英之〕
2400032011同(コケ)元和版『和名類聚抄』、草木部草類に「莎草 唐韻云、莎草〈蘇禾反、楊氏漢語抄云、具々〉、草名也」とある。「くぐ」は、カヤツリグサ科の草本ハマスゲ・コスゲ・シオクグ等の古名である。『色葉字類抄』が「こけ」の表記漢字中に「莎」を載録するのは誤りである。この誤りの原因としては、日本における「薜」と「薛」の混同を指摘することができる。『漢書』司馬相如伝上の「薛莎青薠」の注に「張揖曰『薛、頼蒿也。莎、鎬侯也。青薠似莎而大、生江湖、雁所食』。師古曰『莎即今青莎草。薠音煩』」とある。「鎬侯」は「薃侯」とも書き、莎草の種類である。「薛莎」という表現より、「薛」と「莎」が同類であることは明らかであり、「青薠」も加えて、いずれも水辺に生える草で、種類は異なるが、同類とされる。元版『大広益会玉篇』に「薛〈胥列切、草薬、莎也〉」とあるのは、このような認識に基づくものであろう。『色葉字類抄』の誤りは、「莎」即ち「薛」を、「莎」即ち「薜」と誤認したことに起因するものであると考えられる。『類聚名義抄』に「莎草〈桑戈反、サヽメ、コスケ、ミノクサ、クヽ、クキ、ミクリ、コケ、シハ、和沙、ーー、クヾ、クコ、ミトリ〉」と「コケ」の和訓を示すのは、『色葉字類抄』の誤りを踏襲したものである。『略注』の説明は誤りである。〔2023年8月25日 高橋久子〕
2400042002イヨタツ「心生恐怖。挙身毛竪」(『仏本行集経』巻五七)、「見者毛竪」(『法苑珠林』巻七六)など、漢訳仏典系に用例が多く、日本漢文では「身毛尽竪」(『三代実録』貞観七年十月二五日条)や「身毛皆竪」「心魂共迷」(『本朝文粋』巻五・後江相公)の対句も見える。大半は「身毛」「毛」と連接して恐怖や衝撃を受けた時の表現として表れる。現代語でも「身の毛がよだつ」として生きている。『今昔物語集』では、「身ノ毛竪チ魂迷テ」(巻一七第一八)などとは別系の恐怖表現に「頭ノ毛太リテ怖シケレバ」(巻二七第二〇)があるが、恐怖の対象に遭遇する前か後に限って使われる心理表現で、「身毛竪」とは語位相を異にしている。(参考:小峯和明『今昔物語集の形成と構造』pp.190-199、1985年)〔2025年4月10日 小峯和明〕
2400052007望夫ハウフ(山岳部)/石名劉義慶『幽明録』(『初学記』石・所引)に「古伝」として武昌山の望夫石の故事がみえる。出征した夫を見送ってそのまま石となってしまった話で、『神異記』を典拠とする説もあるが、古くから口頭伝承で広まっていたであろう。白居易の弟白行簡の「望夫化為石賦」(『全唐文』巻六九二)をはじめ、詩賦にも詠まれ、日本でも『和漢朗詠集』七一九など、例が多い。和文の説話としても、夫との死別を悲嘆する型の『唐物語』以下、『発心集』『十訓抄』等々、中世の説話類に広く語られる。女人が夫を慕って石となる型は、『万葉集』や『肥前国風土記』で名高い松浦佐用姫の領巾振りの故事などで人口に膾炙する。〔2025年4月10日 小峯和明・高陽〕
2400062014龍眼木サカキ藤本灯(2016、※1)で述べたとおり、「サカキ」の同訓異表記の羅列はすべて『和名抄』からの孫引きと考えられる。「本朝式」は『延喜式』のこと。(※1)『『色葉字類抄』の研究』pp.389-395。初出は『国語と国文学』90-2、2013。(※2)『辞書語彙データベース』「古活字版和名類聚抄データベース」内「龍眼木」の項参照、https://jisho-goi.kojisho.com/kwrs/7054。〔2025年4月10日 藤本灯〕
2400072000イシムロ「祏」は、『説文解字』に「祏 宗廟主也、周礼有郊宗石室、一曰大夫以石為主、从示从石、石亦声」とあり、「祏」の本義は宗廟に祀る木主(位牌)である。『説文解字』の記事は難解であるが、段玉裁の注に従えば、「周礼」というのは、周礼の文ではなく、左伝学者の説く周代の礼制という意味で、「郊宗石室」は、先祖の位牌を祀る石の部屋で「郊」や「宗」の祭祀を行うことである。「一曰」以下は、石で位牌を作るという別説を併記したものである。『大広益会玉篇』に「祏 殊亦切、廟主石室」とあるのは、『説文解字』の文を節略したものに過ぎないが、「祏」が「石室」であるという誤解につながった可能性が有る。「祏」に「イシムロ」の訓を付すのは、「石室」の和訓に拠るものであるが、必ずしも「祏」の正しい字義ではない。また、『春秋左氏伝』荘公十四年の杜預の注に「祏、蔵主石函」、また昭公十八年の杜預の注に「祏、廟主石函也」とあるのは、「祏」を、位牌を収める石の箱と解したものであるが、文脈による解釈であろう。いずれにせよ、「石室」と「石函」は別である。黒川本の標出字は、字形類似による誤りである。『略注』の説明が『大広益会玉篇』を引かないのは不十分である。〔高橋忠彦 2023年8月18日〕
2400082001イカムカウ(右傍)/犬ー也「嘷」は、『説文解字』に「嗥 咆也、从口皐声」とある「嗥」の異体字である。小篆を楷書化する過程で、小篆に比較的忠実な「嗥」と、書きやすさを考慮した「嘷」に分化したに過ぎない。『漢魏六朝隋唐五代字形表』等を見る限り、多様な形に書かれたが、唐の石経では「嘷」に作っているので、一種の正体とされたのであろう。『観智院本類聚名義抄』にも「嘷〈胡刀反、ホユ、イカム、和カフ〉」とあり、その下に多くの異体字を載せる。猶、「嘷」は「号」と同義、同音であり、異体関係ということもできる。『略注』が『広韻』のみ引くのは不十分である。〔高橋忠彦 2023年8月25日〕
2400092008-真福寺本『日本霊異記』、巻下、第一九の訓釈に「比頃〈己呂保比爾〉」、同二六の訓釈に「比傾〈古呂保比〉」、『図書寮本類聚名義抄』に「等比〈…コロホヒ 論…〉」「遅比〈コロホヒ 記〉」とあり、「比」の常訓は「ころほひ」である。前田本・黒川本古篇辞字部に「比〈コロヲヒ〉間来旬遅黎〈郎奚反、已上同、天明ー〉」とあることも根拠となる。字類抄諸本では、早大蔵『花山院本伊呂波字類抄』、古篇天象部に「比(コロヲヒ) 黎〈同〉」、大東急記念文庫蔵『十巻本伊呂波字類抄』、古篇天象部に「比〈コロヲヒ、近也〉 黎〈同〉」とあり、これが原形であると考えられる。三巻本(前田本・黒川本)の「比 黎〈同〉」は、「比」の和訓「コロヲヒ」が脱落したものである。『略注』の説明は誤りである。猶、『略注』は『史記』高祖本紀の司馬貞『索隠』の「黎、猶比也」を引くが、『史記』酷吏伝「黎来、会春」の司馬貞『索隠』には「黎、比也」とある。〔高橋久子 2023年8月18日〕
2700012010コミカトヰ(右傍)/小門也宋版『説文解字』に「闈 宮中之門也」、景宋本『爾雅』釈宮に「宮中之門謂之闈」とあり、郭璞注に「謂相通小門也」とある。しかし、「闈」の訓詁は基本的に「宮中之門」であり、「宮中之小門」は、特殊な例と言うべきであろう。『春秋左氏伝』閔公二年の「賊公于武闈」に対する杜預の注に「宮中小門謂之闈」とあり、同哀公一四年の「属徒、攻闈与大門」に対する杜預の注に「宮中小門也」とある。これらの訓詁はやや特殊であり、前者については、孔穎達の『春秋左氏伝正義』では「大率宮中之門皆小、故云宮中小門也」と弥縫的に説明し、後者は「大門」と対比させて「小門」と解したものであろう。更に、『爾雅』の郭璞注は杜預の説に拠ったと考えられる。和語の「こみかど」の用例は少ないが、古活字版『宇治拾遺物語』第三七話に「僧正の御坊の、陸奥殿に申たれば、とうのれとあるぞ、その車率て来とて、小御門より出でんとおほせ事候つれば、…二時あまりありて、僧正小門より帰をとしければ、ちがひて大門へ出て、帰たる車よびよせて」とある。「こみかど(小御門)」は「こかど(小門)」の敬称であり、「おほみかど(大御門)」(大門の敬称)の対である。『前田本字類抄』に「掖(エキ)〈ワキ、正門之傍小門也〉」とあるように、「小門」は、正門である大門以外の門、特に、大門の傍にある通用門、脇門の意である。『略注』の説明は不十分であり、かつ、「コミカド」が「コカド」の誤りであるという誤解を招く恐れがある。〔高橋久子 2023年8月18日〕
3000012012コムキカラ又乍甫/小麦皮屑也徐鍇の『説文解字繋伝』に「稃𥢶也、従禾孚声、臣鍇曰、稃即米殻也、草木華房為柎、麦之皮為麩、音義皆同也、芳於反」、『大広益会玉篇』に「䴸〈芳無切、俗、麩字〉」、『正字通』に「䄮〈俗、稃字〉」とある。したがって、「稃」と「䄮」は同音同義の異体関係であり、「稃」「䄮」「䴸」「麩」は、四字共に穀物の殻を表す。字類抄諸本の原形本に近い二巻本『世俗字類抄』に「小麦䄮〈コムキカラ〉」とあり、『色葉字類抄』の本項目は、日本の平安末期の古文書において「䄮」が小麦の殻の意味で使用されていたことを示す証左となる。『略注』の説明は誤りである。猶、『略注』は標出字を「秩」と翻字するが、「䄮」の誤植である。 〔高橋久子 2023年8月25日〕